・書かれているのは「神野金之助重行」で下記内容
明治26年4月15日、いよいよ神野側と毛利側との間に、新田全部の受渡手続きが結了し、一千 百町步の所有と用水路との全部を舉げて翁の手に帰するや、双方の関係者は内連れ立ちて新田の各所を見廻り、互に授受の終結を告げたるを祝しつつ假事務に集合して黒豆飯を炊き、盃を舉げて円満解決を祝つつあた時、料らずも意外の警報が齎された。其れは外ならず毛利時代に二回新田と称せられたる場所の樋門が抜けたとの急報であった。
わずかに授受が行はれたばかりの出来事とて、縁喜の悪るさをかつぐ色が居並ぶ人の顔を曇らせた。海潮は刻々に浸入して見るまに二百餘町歩の新田が漫々たる海面と化した。
・日本海側に低気圧がいるが日中は晴れで、午後になると南風が少し強いよう
・南風と夕方の満潮と重なって樋門が外れたのか(史実か疑問が残る)
潮汐データ 新暦1893/明治26/04/15(土曜) → 旧暦1893/明治26/02/29(大潮1日目)
二回新田の樋門が外れる
・神野新田紀事には書かれて
・詳しい時間は書かれてないが、譲渡契約後
の祝宴ということで夕方だろう
・大潮の初日で祝宴時間帯の16:46が満潮
・14時の気象図からは西から南風化強くなっ
てきているのが見える
午前6時
午後2時
午後10時