・神野新田紀事には澪留工事は日付と時刻だけで、潮に付いては書かれていません
・他の書籍には大落潮(大潮のことと思われる)の干潮時と書かれてますが、大潮だと
潮の流れが速くて危険、澪留部分の破損につながるので避けるはず、また干潮時だと
澪留近くは浅すぎて、石俵など重いものを積んだ船はたどり着けない
・毛利新田も神野新田も基本は小潮で澪留をしていて、神野新田は干潮から満潮に向かう
時間帯に作業したことが分かります
・毛利新田の澪留工事の時間帯を書いた資料は無いが、潮は神野新田とほぼ同じである
・神野新田紀事には2回の澪留(計画した日程で)の時間帯か下記で明記されている
・第一次澪留(25間幅1ヶ所)は、明治26年9月16日、午前4時30分~6時
・第二次澪留(25間幅と60間幅各1ヶ所)は、明治26年9月17日、午前4時30分~6時30分
・以上から、両新田とも潮時は同じであったと考えるのが妥当である
・下の赤四角で表す澪留時間帯を参考にして、毛利新田の時間帯を推測ができるはず
▶ 神野新田の第一次澪留(明治26年9月16日)
豊橋の日の出日の入り (5:34 — 17:56)
潮汐データ 新暦1893/明治26 09/16(土曜) → 旧暦1893/明治26 08/07(小潮1日目)
神野新田、1回目の澪留工事
(スケジュール通り)
・工事は午前4時30分より着手し、同6時に
なって無事に終了と明記されている
・澪留は満ち潮の途中である
・干潮だと船底がと海底とあたり砕石等を
多く積めない?
・満ち潮途中の理由は、荷物を積んだ船が沖
から陸地に進み易い、沖への戻りは荷物が
無いので向い潮でも楽だから?
▶ 神野新田の第二次澪留(明治26年9月17日)
豊橋の日の出日の入り (5:35 — 17:54)
潮汐データ 新暦1893/明治26 09/17(日曜) → 旧暦1893/明治26 08/08(小潮2日目)
神野新田、2ヶ所の澪留工事
(スケジュール通り)
・工事は午前4時30分より着手し、同6時30分
頃と、ほぼ終了と明記されている
・澪留は満ち潮の途中(前日より数十分遅い)
・前日の一次とほぼ同じ時間帯である
▶ なぜ「この潮と時間帯」で作業したかの理由(推測)
・潮位が80Cm~130Cmで作業しているが、澪留を積み上げて行くのに都合が良い高さと
思われるが、この間の時間を一番長く取れるのが小潮である
・澪留部は、干潮時は海底が浅すぎて船が海底にあたって澪留部に近づけない
・干潮から満潮なら、重い資材を積んだ船が潮に押されて、沖から楽に澪留部に近づける
・澪留の潮と時間帯は、六条潟の古い新田から培われて来たノウハウだと思います
・毛利新田から4年後の神野新田の澪留であり、毛利新田のノウハウが引継がれているはず
・大潮では潮の流れが速く、船や人が流される危険度が高い
・大潮では潮の流れが速く、澪留した部分が潮流で浸食される恐れが大きい